裏木曽中津川

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地域のご案内(観光)

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付知 福岡 蛭川

付知

道の駅花街道付知

【施設内容】
樹齢300余年の天然ヒノキの柱を使うなど産地ならではの贅沢な
道の駅です。敷地内にはヒノキ造りのモデルハウスも展示され、
マイホームを計画中の方には最適。

■駐車場 小型車・200台大型車・15台
■営業時間…9:00から18:00
■定休日……第1・3火曜日、年末年始
■名産品……ほう葉寿司、ハツカ糖、檜の民芸品 
■電話番号……(0573)82-2000
              
御影石の加工品、栗きんとん 

付知峡倉屋温泉

緑溢れる自然の宝庫。四季折々の草花、移り変わる山景色。
そんな大自然の秘湯「付知峡倉屋温泉」森林浴を楽しみながら、
のんびり天然の掛け流し温泉を満喫してはいかがですか。

〔営業時間〕 午前10時 〜 午後10時(入館9時まで)
〔定 休 日〕 第4水曜日
〔利用料金〕 ☆大人・600円  ☆小人・300円
〔電   話〕 (0573)82−5311
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熊谷守一記念館

独特の画風で画壇の仙人、東洋のピカソといわれた
熊谷守一画伯は幼少から画家としての天分を持ち24歳で
東京美術学校を卒業。35歳で再び上京し、2度二科展に出品、
多くの作品を遺す。
晩年には書も多く、この業績を讃えた熊谷守一記念館には
70点余の作品が展示されている。

〔開館時間〕午前9時30分 〜 午後5時(入館4時30分まで)
〔休 館 日〕 月曜日(祝日の場合翌日)
〔利用料金〕☆大人・500円 ☆高校・300円 ☆小中・200円
〔電   話〕(0573)82−4911
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不動滝

不動滝はひのきの原生林から流れ出る谷川が集まり流れ落ち、
暗殺された知証和尚の袈裟が、川を逆流し流れついたと
いわれる伝説の滝

仙樽の滝

不動滝の上流にある滝で不動滝と共に不動渓谷をなし
別名男谷といわれ、滝に続く滝で水は山の緑を溶かしたように
青く澄み、神秘的なエメラルドグリーンである。

遊歩道

滝の周りには遊歩道が完備され、森林浴も出来、
5月中頃になれば、遊歩道の周りにはシャクナゲが
可憐な花をつけ、心をなごませてくれます。
秋の紅葉も見事です。

付知峡キャンプ場

付知峡あるいは付知川沿いにキャンプ場、オートキャンプ場、
コテージが7ヶ所あり、約2,500人収容出来、
利用者のライフスタイルに合わせてご利用頂けます。

御神木の里

伊勢神宮の社殿を20年に一度造り替える式年遷宮の行事の1つで、ご神体を納める器の御用材(御神木)を伐採する儀式がこの地で行なわれる。
 平成17年6月5日(日)第62回 伊勢神宮御用材伐採式が
行なわれた。

田口俊平翁の碑

1818年医者の息子として生まれ、長崎で蘭学、
名古屋の洋式兵練所にて学ぶ。付知村田口家へ入籍し、
江戸へ出て砲術師範として仕え、のち軍艦総練所教授職となる。
1862年赤松則良らと共にオランダへ5年間留学する。
開陽丸で帰国後病死。碑文は1945年内閣総理大臣の
鈴木貫太郎の書である。

阿寺断層

日本有数の活断層である阿寺断層は中津川市山口から
下呂市に向かって、長さ80km、左横ずれが特に大きく、
垂直には15m程ずれている。
歴史上の大地震発生の記録が無いことから注目をされ、
昭和56年10月には発掘調査が行われた。

宮島源平古戦場

攻橋下の宮島丸山は永正元年(1504)源平合戦ゆかりの
地である。平家方の三木勢を迎え撃ち全滅させたのが、
木曽義元の重臣古藩伯耆である。
平家473名、源氏187名の武勇を偲び昭和55年11月宮島神社が
建設され、その堂宇の中に骨牌地蔵尊が安置されている。

飛騨道の仏像と道標

ここは南北街道と御嶽道との分岐点であり、
正保3年(1646)に庄屋田口忠左衛門が十一面観音像を
祀ったと記されている。観音堂敷地内には地蔵尊が祀られており、
建立されたのは天保11年(1840)2月。幕府の命で用材を
伐り出した時の村人へのお礼として建てられたといわれ、
費用は7両1分だったという記録がある。

寺山薬師堂

下付知の医師田口広林(代々頭百姓で3代目まで医業を行い、
4代目は初代町長)は、人々の健康維持に尽くす傍ら、
治す事の出来ない難病を薬師三尊に祈るため、寛政7年、
自ら木像千体薬師如来像と脇侍及び、悲母観音菩薩を
約6か年をかけて完成。加えて仏像を守る賓頭慮尊者像も作った。

護山神社

天保9年に江戸城西の丸が焼失。修造材伐出のため
裏木曽出小路山が選ばれたが事業開始と共に神変や
怪異現象があり、同11年尾張藩主は将軍徳川家慶公の
命により表・裏木曽全山鎮護の守護神として奥社を鎮座。
同14年里宮として建築されたのが現在の護山神社である。
伊勢神宮式年遷宮の御神木がここから出発している。

倉屋神社

延宝元年(1673)付知村の庄屋田口四郎左衛門が、
田口家の守護神をまつる社として、牛頭天王社を再興した。
明治6年以後は政府布告で「倉屋神社」と改められ、
同時に倉屋地区の氏神となった。

大山神社

奥社は大山の山上、加子母村との隣接地にあり
延宝2年(1674)付知村領となる。
ある夜、田尻の弥兵衛さんに神のおつげがあり、
原野に1m余の台座をみつける。延享2年(1745)神殿が
建設された。

水無神社

約400年前、三尾甚七が木曽三尾村(長野県三岳村)から転入し、その子孫太兵衛の時、寛文6年(1666)木曽福島村の
水無神社から御分霊を賜り現在地に祀られている。
付知町五社巡祭社の一つである。

若宮神社

380年前寛永2年(1625)古文書に記載され、
史書には若宮八幡神社と記載されている。木曽五木の
(ヒノキ・サワラ・コウヤマキ・アスヒ・ネズコ)禁材木という
尾張藩の厳しい掟を知りながらも氏子達は文政4年(1821)
本殿を再建した。のち厳しい取り調べを受けたものもいる。

子安神社

約320年前の元禄四年再建され安産と子宝の神様。
風雨水害から守り、家内安全と豊作を守る神社。
背後の雨乞棚山(1,391m)は豊作を祈る雨乞いの
神聖な場所で何時頃からか、この祈りの場所を雨乞棚山と
名付けられた。

禅徳山宗敦寺

寛永三年(1626)7月、住職の廓翁天譽和尚が急逝で寺が消滅。寛文6年(1666)5月に苗木・雲林寺から魏海宗活和尚を
招き寺が完成。「平成の大改修」が平成17年10月に完成。

藤戸山宝心寺

その昔、国造山の頂上にあったが度重なる戦乱や、
地震により廃寺となる。昭和25年、町民有志の懇願により、
高野山総本山より住職を迎え本堂を再興した。
寺宝には、県指定文化財の十六羅漢画像が祀られている。

伝説・いわれ  智証霊神と不動尊

保元平治の乱の頃、下浦の菩提寺に智証和尚が住んでいた。
彼は時の帝に仕えた高僧であったが、暗殺されてしまった。
その屍を不動橋付近に投げ捨て、袈裟を「精あらば川上に流れよ」と言って川に投げたら、不思議にも流れを逆のぼり不動滝に流れ着き、何時までも渦を巻いていたと伝えられる。
現在滝には不動明王が祀られ、寺跡には阿弥陀如来を祀り不動明王の分身不動尊と弘法大師をご神体として智証霊神と崇められている。

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